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2015.09.15

          閉店します

 当うきよ亭、閉店致します。
 近頃老耄、とみに甚だしき毎日です。同じ本を買ってしまったり、映画俳優の名が出てこないことも二度、三度。
 そんな折、思い出したのが、脳トレで知られる東北大の川島隆太さん。以前、こんなアドバイスを頂きました。
 「脳の老化防止には、指を動かすのが効果的です。字を書く、絵を描く、楽器を奏でる、料理を作るなどがお薦め。キーボードも指を使いますが、あれは脳を刺激しません。老後にパソコンは考えものです」
 これを天啓と思いなし、パソコンからペンに戻ってみようと考えた次第。もとより悪筆。キーボードには随分助けられましたが、もはや書類などとは無縁の暮らし。どんな字を書いても、どなたかに迷惑をかける気遣いはありません。
 思えばキーボードに頼って、久しく紙に字を書いていません。宅急便の伝票程度でしょうか。やっぱり変。時代に逆らい、アナログに戻ることに致しました。決めたら何だか新鮮です。
 決めるまで、時間が掛かりました。なにせ島暮らし。パソコンは重宝です。注文すれば、本が翌日届きます。簡単な調べ物もできる。ないと少なからず不便。やめようか、どうしようか。決断力乏しき身。迷いました。
 決め手になったのが、あの毛嫌いしていたスマホ。「買い物も検索もできるよ」と教えられ、試したら最低限のことは何とかクリア。使い勝手はまことに良くないものの、ぎりぎり合格。「こいつでもいいか」と、敵の軍門に下ることに致しました。
 かくて、ネットを継続しながらパソコンとキーボードに別れを告げる目途が付いたのですが、宙に浮いたのが当うきよ亭。スマホでブログという豪の者もいるとはいえ、あんな小さな画面じゃ老眼にはとても無理。涙をこらえ、未練を断ち切り、閉店することに致しました。
 短い間でしたが、駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
 ではっ、皆様っ、お達者でーっ。
               (終)
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2015.09.06

          秋告げ魚

 春告げ魚はメバル。では秋告げ魚は?秋刀魚と言いたくなるが、島の釣り好きは違う。カマスを挙げる。秋刀魚より早く、秋到来を告げに来る。
 今年もお盆過ぎ、港内に群れでやって来た。猛暑の真っ最中。「随分早いな」と思ったら、急にストンと涼しくなった。さすがに秋告げ魚である。
 細長い魚だ。サヨリほどではないが、下顎が突き出している。南の海にはオニカマスという2メートル近い大物がいて、人間を襲うこともあるという。
 港に来るのは、もっとかわいい連中だ。体長20㌢ちょっと。目がぱっちりと大きい。サビキのちょい投げにガバガバくる。本性は攻撃的なのかもしれない。5本鉤に5匹なんてこともある。
 「けさは百匹釣った」と胸を張る人がいる。目刺にして各地の友人に送るそうだ。カマスは開きが看板。目刺もきっとうまいはず。
 ものの本には「水っぽくて刺身に不向き」とあるが、そんなことはない。釣り立ての新鮮なのは上々の味だ。塩焼きも風味豊かで文句なし。盃が進む。KIMG0146.jpg 気になることが一つ。二十年前の魚類図鑑には「本州中部以南に多く、三陸沿岸ではわずかに漁獲されるだけ」とある。当時は、釣ったという話も聞かなかった。それがここ数年、港内まで押し寄せるようになった。温暖化の使者なのか。
 でもまあ、それはそれ、これはこれ。せっかくの秋告げ魚、政宗さんじゃないけど『楽しまずして如何にせん』だ。
 秋を告げると、カマスはさっさと去る。滞在期間はせいぜい半月。「いなくなった」「まだいた」を繰り返して、次第に間遠になる。
 けさ浜に行ったら、一匹も釣れていない。こうなると秋本番。食卓にエースの秋刀魚が登場する。盃がもう、一段と、ふふっ、たまりませんね。
2015.08.26

          万葉昆布

 「昆布だ、昆布」。眠りを破る電話。「はぁ?」「早く浜さ来てみろ、昆布の山だ」。ナンノコッチャ。
 行って魂消た。道路まで昆布がびっしり。うっかり車で走ったら、滑って海に落っこちそう。「嵐で海がよれて、岩からもがれたんだな」。寄せる波の中でも、昆布が踊る。
 長い手カギで拾い上げる。何と軽トラにいっぱい。「肥料にでもするの?」「バカッ、干して出し昆布にすんだよ。皆に分けてやんだ。手伝え」
 えっ、これが、あの、出し昆布に。ゴミみたいな、これが。「なるんだよ。好きなだけ持ってけ」
 島のお年寄りに訊いた。「今のは身が厚いから、出し昆布にいいんだ」。本当らしい。
 「どうするの?」「真水でしっかり洗って干す」「干し方は?」「洗濯挟みで吊るす」「そんだけ?」「カンカン照りなら、一日で乾く」
 いつかテレビで襟裳岬の昆布干しをやEffectplus_20150823_140830.jpgっていた。何メートルもある長いのを、丸い石を敷いた浜で干す。六十いくつかの手間が掛かるとか。神経を使う微妙な作業だという。
 それを洗濯挟みで一日だぁ。いいのかそんなで。「やってみさい、うんめよ」
 そういえば奈良時代、朝廷は税として三陸から昆布を納めさせている。当時のことだから干し方は簡単だったろうが、宮廷の人々に珍重された貴重品だったに違いない。万葉人を喜ばせ、その宴をにぎわしたことだろう。
 島の昆布は、この万葉昆布に限りなく近い。古代の生命力にあふれた野性味を宿しているのではないか。
 十五本ほど干した。今年の鍋は、うまいぞーっ。
2015.08.18

            困った

 隣の田代島は、猫の島として人気だ。網地島も猫だらけである。猫は大事にされている。十年ほど前までは、猫をいじめるからと、犬を飼う人がいなかったという。野良猫が、大手を振って歩きまわる島だ。
 わが家にも毎日、五、六匹やってくる。生き物を飼う趣味はない。ないが、魚のアラや食べ残しがあれば、猫専用の皿に出してはやる。居ついた猫はまだいない。
 ところが、である。わが家を気に入った猫の親子が現れた。親猫一匹と仔猫が二匹。追い出せばいいのだが、そうもいかなくなってしまった。
 仔猫が、何ともかわいいのだ。
 ガラス戸の向こうで、ちんまりと座ってこちらを覗く。目が合うと「ニャー」、首をかしげてニコッ。笑うはずはないが、そうとしか思えないあどけなさ。困る。
 外に出ると、足元にじゃれるかのように寄ってくる。親猫が血相を変え、目を吊り上げてガードする。急いでその後ろに隠れる慌てぶりがまた、微笑ましい。Effectplus_20150803_160136.jpg
仔猫同士ではしゃぐ姿も、毛糸玉がもつれ合うようで見飽きない。困る。
 よく見ると、仔猫はかなり痩せている。ちっとも大きくならない。無邪気な分、哀れさが増す。そぞろ惻隠の情に誘われる。放っておいていいものか。困る。
 三日ほど留守をした。餌がないので、いつもなら野良は寄らなくなる。
 この親子は違った。きちんとお出迎えをしたのである。今は終日いる。マイホームはここ、と決めたらしい。他の猫も来なくなった。猫同士で何か取り決めたのかもしれない。大いに困る。
 困るが、追い出すのはかわいそう。かわいそうだが、飼う気はない。飼う気はないが、見つめられると心が乱れる。
 どうしよう。困った困った。
2015.08.11

        「口惜しかった」

 昭和五十年ごろの夏、職場や酒場で年配の人たちに同じ質問をしたことがある。「終戦の玉音放送を聴いて、どう思いましたか」
 いろんな答えがあった中で、一人「口惜しかった」と語った女性がいた。
  「女学生でした。聴いて、呆然自失 でした。戦争って宿命だと思っていま したから、誰かがやめようとすればや められたんだということに驚きました。 それに気が付いたら、口惜しくてなり ませんでした。ならばなぜ、もっと早 くやめなかったのか。半年、いや一カ 月でもいい。そうすれば死なないで済 んだ人がたくさんいるのに。口惜しく て情けなくて、泣きました」
 一カ月早ければ、ソ連参戦も広島、長崎もなかった。三か月早ければ、沖縄戦がなかった。政治家たちが終戦をためらっている間に積み重なった無意味な死を思えば、涙は当然だろう。
 七十年前「戦争はやめられるもの」と知って泣いた女学生がいた。今「憲法を変えなくても戦争ができる」と、はしゃぎ回る政治家たちがいる。言論統制は次第に露骨だ。“戦争法案”も成立するだろう。
 戦後七十年の平和が、かくも低級な政治家と首相をつくり出した。「平和ボケ」と言われても、仕方がないのかもしれない。
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